2020/06/30

とさ




今後も状況を見つつ進めていきますが、

高知個展開催のお知らせです!


2020年9月22日(火・祝)~27日(日)

よるめし はらいそ




時間など詳細はまた後日お知らせしまーす。

会場を貸してくださる「よるめし はらいそ」は、

高知の食材を使った美味しいお料理と地酒をいただけるお店です!

昨年の6月にうかがった時、とても美味しいカツオやウツボやお酒を

いただき、幸せな時間を過ごしました。


高知観光がてら、お立ち寄りいただければ幸いです。


只今絶賛制作中です!





2020/06/25

えつけ



本日は絵付け三昧!


素焼きの茶碗が山積みです。


お茶会に使っていただくお茶碗の絵付けですが、そのお茶会が

開催されるかどうかはまだ分かりません。


それでも、作るようにと言ってくださる方がいる限り、作らせていただきます。

手が、筆が、ふるえます。

アルコール中毒ではありません。



陶芸の学校へ行くようになって初めての絵付けの授業は、

笑っちゃうくらい手が震えていました。懐かしい。

それが、絵付けの修練をしていくうちに、ふるえが止まるのです。

不思議~。




















本当に、人々がまた「密」になって、温もりや面倒臭さや親密さや

すれ違いや優しさや思いやりをもって集う「場」が持てるようになるといいな。


絵付けはまだまだ続きます・・・。








2020/06/22

しょしん








「初心忘るべからず」


とは言うても、生きていると忘れることってたくさんあります。

忘れないと生きるのがツラくなることもありますしね。

ツラくなくても年々忘却のかなたに記憶は過ぎ去っていく・・・。


だから、忘れてもいいんです!

時々想い出せたらいいんです。




6月から陶芸教室が再開し、新しく入会してくれた生徒さんがいます。

最初に土に触れた時や、形を作った時の喜び。


「楽しかったです!」


と、言ってくださった時の嬉しさ。

冒頭の写真は、新しく入会してくれた生徒さんの作品です。


























私が初めて陶芸に出会って、作り始めた頃の器。



備前焼の陶芸教室で、備前出身の先生が本物の備前の土を使って

作陶させてくれる所で作ったもの。

先生がお酒好きで、作陶した後は教室で酒盛りをしたのがいい想い出です。

(結局お酒!?)





















技術は全くなく、ただ、作陶する喜びに満ちています。

今でも、この不器用な器はよく使っています。

この器よりも今は器用に作れるけれど、想いはどうだろう?

と、自分を見つめるためにも必要な器で、好きな器でもある。



初心は忘れることがある。

だから、想い出させてもらえる出会いと、器に感謝しています。




生徒さんが作っている器。




















これから加工して、「割山椒」という形にしていきます。
























削りが終わって乾燥中の器たち。




「作りたい!」

という気持ちが伝わってきました。



私も楽しんで作るぞぃ。




2020/06/16

あじさい




梅雨に入りました。


紫陽花がいたるところで咲いています。


色々な種類の紫陽花があるなぁ。




















こちらは昔ながらのタイプ。




小さいガクが鞠のようになって咲いている。


紫陽花は、この花びらのように見えるのはガクで、ガクの中心にある

ものが花びらなのですよね。




























都心のビル街に咲いていた紫陽花の木。

背の高さくらいの大きさがありました。


そう、紫陽花は「木」なのです。





雨に濡れると生き生きとする紫陽花。



最近は激しい雨が降って色々な害を被ることがあります。

どうか、お手柔らかに降ってくださいと祈るばかりです。





2020/06/14

ていしょく




「定食」


馴染み深い言葉ですよね。

「鳥の唐揚げ定食」

「アジフライ定食」

「カキフライ定食」

「魚の煮付け定食」

「サバの味噌煮定食」

「豚の生姜焼定食」

「刺身定食」



あ、揚げ物多し。



「定食」という響き、なんだか惹かれます。

何定食にしようかと迷う時のワクワク、メイン以外の副菜はなんなの?

あ~~、今日は肉の気分!いやいややっぱり魚がいい~。

私、鳥の唐揚げが滅法好き。



「定食」って、ご飯と汁物とメインの主菜。香の物などがついている。




「一汁三菜」のご飯が主にありて、汁物、主菜、副菜が二品ということと

似ているけれど、もっと自由な感じ。




「一汁三菜」を毎日毎日、毎食毎食作ること。

仕事していたらそんなん出来ましぇん。



そうなんです。

だから、土井善晴さんが提唱している「一汁一菜」でもいいと思う。

「汁」の基本を味噌汁にして、具沢山にしたらそれでいい。



形に囚われると疲れるので、例えば今日は炭水化物しか採らなかった、

という日があっても、次の日は野菜沢山食べよう!という、

「一日の食事に必要な栄養素」にとらわれないで1週間くらいの単位で

考えればいいかなっと思って食べている。



人間以外の動物は、いつでも食べられる状況ではないから、食べられる時に

食べて、食べられない時には食べずに生命活動を維持する方法を知っている。




「一日三食」「一日一食」「玄米菜食」「肉食」「炭水化物抜き」 etc・・・



色々な情報や、それぞれの人の体験談、科学的な根拠とか

どーでもいいので、自分に合った「食」を見つけたいものです。




この日は「豚の生姜焼き定食」

玉ネギが多めだな。


ちなみに私は一日二食が基本です。






2020/06/11

にっしょう





久しぶりに美術館へ行ってきました。



観たかった展覧会も休館のまま会期を終えてしまったり、

展覧会自体中止になってしまったりと残念なことでした。



東京ステーションギャラリー

「神田日勝  大地への筆触」



こちらの展覧会も、4月18日からの開催でしたが延期になっていて、

6月2日から再開するということでしたので、やっと出かけることができました。



朝の連続テレビ小説「なつぞら」で、画家の青年が出てきました?

その役のモデルとなった人が「神田日勝」です。

私はドラマは見ていなかったのですが、割と忠実に描かれていたようですね。



東京の練馬で生まれた神田日勝の一家は、1945年、日勝が7歳の時に

拓北農兵隊(戦災者集団帰農計画)に加わり、北海道に渡ります。

入植地に着いたのは終戦の前日で、その後は国からの援助もほとんどなく、

開拓生活は困窮を極め、苦難の連続だったと言います。

そんな中で絵を描き始め、展覧会に入選するも、日々の過酷な労働の中で

絵を描き続け、とうとう32歳の若さで過労により病死してしまいます。



農作業のための馬とともに生活し、その馬を多く描きました。

最後まで書き続けた馬の絵は、未完成のまま残りました。



生活とともにあって、力強く、生きていくためにどうしようもなく

必要なものだったという、日勝の言葉を引用すると



「僕にとって絵を描くということは、

 排泄行為と同じかな。

 我慢できなくなったら漏らしてしまうだろう。

 あれと同じかもしれないな」



でも、なんだかとても静かな印象があった。

原色の油絵の具をギャンギャンと塗り付けたような作品もあったけれど、

じっと自分の人生や生活に根ざしたものを描いているからなのか。

とても惹かれるものがありました。




それにしても、この状況下なので入場が予約制で人数制限があり、

平日ということもあって人が少なく、とっても快適に観ることができました。


最近の美術館での展覧会はあまりに混んでいて、人を見に行っているよう

だったので、こういうシステムはいいかも。



と、思いつつ、思い立った時にフラッと出かける自由さも捨て難し。





「結局、どう云う作品が生まれるかは

 どう云う生き方をするかにかかっている」  神田日勝





色々な展覧会にまた出かけたいな~。





2020/06/07

ぞくじんき





「ぞくじんき」

という言葉、聞いたことがありますか?





「属人器」


自分だけが使う器のこと。


例えば、ご飯茶碗。

お父さんの、お母さんの、お祖父さんのお祖母さんの

子どもたちそれぞれの・・・って、決まっていませんでした?


いまだに実家へ帰ると、家を出るまで使っていた飯碗を取っておいて

くれて、それでご飯をいただきます。


お箸もそうですね。




これは、世界でも珍しく、日本と朝鮮半島の一部にしかない習慣とも言われています。


お箸はそれぞれ決まっていても、スプーンやフォークが共用されるのは、

それ自体が欧米から入ってきたものだからだそうです。



私が今使っている飯マカイは、沖縄の壺屋焼「育陶園」のもの。



沖縄では、中国の影響が大きかったので、属人器という習慣がない

家庭もあるそうですが、そうなの?




ご飯茶碗は手に取って使う器なので、使う人それぞれの手に合う大きさ、

ご飯を食べる量によっても変わりますよね。

























このご飯茶碗は、ずっと前に職場の同僚の方のご結婚祝いにと、

知人が注文してくださったもの。


大切に使ってくださっていたけれど割れてしまい、再びのご注文を

いただきました。


その後、展覧会が重なったり、釉薬のノリが悪く作り直したりと、

とってもとってもお待たせしてしまいました。



やっと昨日発送することが出来ましたが、ずっと待ってくださっていた

ことがとても嬉しく思います。

奥様が使っていた方の飯碗。少し旦那様用よりも小さく作ったもの。


お顔も知らないご夫婦の、日常の食事の時間に、このお茶碗が手に取られ

大切に使っていただいていることが、なんだか不思議なような、

嬉しい気持ちになるのです。



ゆきやなぎの器を使ってくれている全ての人に、ありがとう!!





「ゾクジンキ」

って響き、「人造人間  キカイダー」とか、

「時空戦士  スピルバン」などの特撮ヒーローものの修辞みたいでない?


「属人器 ウツワダー」


安直・・・。












2020/06/01

けんじ




宮沢賢治。

「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「風の又三郎」  などなど・・・

国語の教科書に載っていたり、題名だけでも聞いたことがある人も多いでしょう。



「銀河鉄道の父」という門井慶喜氏の小説を読みました。


賢治の父、政次郎の目線を軸として宮沢賢治の生涯を表しています。


父は、どこまでいっても父でした。


有名な「雨ニモマケズ」全文が小説の最後に載っているのですが、

賢治の生涯を追いつつ読むと、また違った思いが湧いてきました。





雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ





結核で死の淵にいて、手帳に書き留めたこの言葉は、

立派な人になれよという言葉でもなく、慎ましく生きろということでもなく、

ただ、賢治がさういふもののやうに生きたかったのだと。

死に近いところにいてもなお、明るく、悲壮感はなかったのだと。






しかし、米好きの私でも「一日に玄米四合」は多いな~。

けれど、他に魚や肉のような主菜があるわけでもなく、

野菜も少しなんだもんなぁ。




「伝記」という堅苦しさはなく、実際に生きた人の血肉を感じるような小説で、

とても面白かったです。