昨日は慰霊の日でした。
79年目の祈りの日は、梅雨明けして快晴、そしてとても暑い一日。
その前日に、年に2回神戸から円虹主宰の佳乃先生をお迎えしての吟行会が
行なわれ、一日早い慰霊の句会となりました。
この日も朝から快晴で暑い!
あの梅雨の間の大雨はなんだったの?
まずは豊見城にある海軍壕公園(旧海軍司令部壕)へ行きました。
沖縄戦の時に日本海軍の司令部がおかれた場所です。
日本海軍設営隊によって兵隊たちによって掘られた約450mの横穴を
コンクリートと坑木で固め、米軍の艦砲射撃に耐えて持久戦を続けるための
地下陣地でした。
司令官の大田實少将が、海軍次官に宛てた電報が残っていますが、
その中に沖縄の人々の献身的作戦協力について訴え、「県民に後世特別な
ご配慮をしてくださいますように」としめくくられています。
しかし、どうでしょう。
特別な配慮どころか基地をおしつけ、日米地位協定によって不平等な日常を
送らされています。それは今も変わりません。
この司令官や幕僚たちは壕の中で自決しました。
自決した際の手榴弾によってできた傷跡も残されていました。
ここは壕への入り口ですが、だいぶ深く掘られています。
この中には4000人あまりの兵隊がいて、横になれる場所はなく、
立ちながら睡眠をとったと言うことです。
司令官室に大田司令官の愛唱歌が残されています
「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」
ぞっとしますね。
二度とこんな歌が詠まれてはなりません。
小学生たちが木の下で、沖縄戦のお話を聞いていました。
「戦争はだれが悪いのですか?」
そんな質問がありました。
その答えは一人一人じっくり考えて、答えられるようにしなければなりません。
戦争に正義などない。
完全なる悪です。
わじわじしながら次なる場所、平和祈念公園へと向かいます。
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