知人の病気の平癒を祈って、千羽鶴を折っています。
私一人で千羽ではなく、周りの人たちで折っていますが、
今は時間のない人のために、完成した千羽鶴が販売されているそうです。
はて?
それでは本末転倒な気がします。
「祈り」を込めて自分の手で折ることが、千羽鶴なのではないかと思うのです。
祈りが込められたものというのは、もうただのモノではない。(え?怖い?)
「祈る」という言葉が重々しく感じるなら、なんという言葉に
置き換えられるのかなって考えていたけど、これという単語が思いつかない。
でも、器を作っている時、例えば注文をいただいた器なら、
注文をしてくれた人の笑顔を心に浮かべて作り、そうでなかったら、
いつかその器を使ってくれる未だ見ぬ人への想いを込めて作る。
ご飯を作る時も、食べてくれる人のことを思ったり、
自分一人のための食事を作る時も、野菜を切っている時に、
なんだか祈っているような気持になる時があり、
そう考えたら、生きることそのものが祈っていることと近くて、
毎日、丁寧に生きたいな~と思うのですが、忘れてしまう。
忘れるけれどこういう、鶴を折ったりしている時に想い出して、
なんだかこう、自分の深い所に潜っていくような感覚になるのです。
「折る」と「祈る」って字が似てるな~。
そうそう、だから折ることは祈ることなんだから、折るのです。
つるを。
鶴の折り方って、忘れないものですね。
わし、ちょいと前に、どぉも思い出せんで国際情報網の世話になったでよ
返信削除惚け惚けぢぢぃ
個展は秋かぁ
十八切符使えんじゃん
売れっ子は航空機で行くか
あっ!夜行バスの手があるのぅ
え?本気の物忘れ?
削除私は呑んでいる時のことをよく忘れるよ。
生まれた土地に感謝の個展。
飛行機だと遠回りになるから、東海道五十三次で是非!