浴衣用の半幅帯を織ろうと、計画表を書いてから約10か月。
ようやっと織り上がりました!
糸を染めるところからたくさんの行程を経て、3m80cm。
ひたすら織り続けましたが、ずっと楽しかった🎵
黄色はフクギ、灰色は月桃で染めました。
ミンサー模様を浮かび上がらせるのは、「グーシ花織」という技法を
使い、一つ一つ織りあげましたよ。
ミスすることもあり、そこまで糸を戻して織り直すので、
三歩進んで二歩下がる
を繰り返していました。
浴衣用の半幅帯を織ろうと、計画表を書いてから約10か月。
ようやっと織り上がりました!
糸を染めるところからたくさんの行程を経て、3m80cm。
ひたすら織り続けましたが、ずっと楽しかった🎵
黄色はフクギ、灰色は月桃で染めました。
ミンサー模様を浮かび上がらせるのは、「グーシ花織」という技法を
使い、一つ一つ織りあげましたよ。
ミスすることもあり、そこまで糸を戻して織り直すので、
三歩進んで二歩下がる
を繰り返していました。
月に一度の奏の会句会。
今回は沖縄県立博物館・美術館で開催中の
「芭蕉布展」へ出かけました。
喜如嘉の芭蕉布保存会50周年記念の展覧会です。
2022年に亡くなられた平良敏子さんが生涯をかけて芭蕉布の復興に
尽力した軌跡も見られます。
こちらは神官が纏っていた芭蕉布。
繊細な糸で織られています。
染められた芭蕉の糸で織られています。
おしゃれ~。
琉球王朝時代の位の高い役人から庶民まで、身につけられていた芭蕉布。
今では来ている人は見かけませんが、沖縄の気候にはピッタリの
織物だそうです。
織物の先生が、不思議と重ね着しても涼しく感じるとおっしゃっていました。
こちらは胴に芭蕉の渋汁を塗った和紙を重ねたものを張った三線です。
蛇皮は輸入品で高価だったため、戦前まではこの渋紙張りが代用品で
使われていたようです。
どんな音色かしら。
平良敏子さんが詠んだ琉歌が展示されていました。
(毎日の荢績みは
自分の年も忘れてるほど
荢績みをたくさんして
布にしましょう)
コザで工芸フェアが行われたので行ってきました。
普段の昼間はちょっと淋しい商店街が、この時は賑わっていました。
こちらのセントラルはもとフィリピンキャバレーだったところ。
普段は客室として宿泊できるそうです。
なかなか入ることは出来ない場所なので、展示作品と共に楽しめました。
陶芸教室の生徒さんにマグカップの制作を依頼されていたのですが、
沖縄に引っ越してから窯を築くまで時間が過ぎ、さらに制作してからも
焼成するまでに時間が掛かってしまい、やっと出来上がったけれど
サイズが少し足りなかったりと、大変お待たせしてしまったのですが
器をお送りしたところ、なんと、冒頭の写真のような素敵な半纏が届きました!
元々手先が器用な方で、刺子の布巾やバッグ、巾着などを作られていて、
今までも色々いただいてきましたのに!
またもやこんな素敵な作品をいただけるとは。
わらしべ長者か?
ずっと憧れていた織物の体験教室に行ってきました♪
ある日、新聞の記事に知花花織の、島袋領子先生の事が掲載されていて、
とっても気になってインスタグラムを拝見していたら、
ワークショップをされるということで、速攻申し込みました。
会場となった「陽とヒト」さんの雰囲気に、まずはホッとして、
島袋先生にお会いした時、さらに心が和みました。
以前から興味があった「布ぞうり」
古くなった着物の裂とか、着古したTシャツなどを使って、
ぞうりにリメイクしていきます。
お外では履けないけれど、お家で履くのは足に気持ち良いのです。
先月末、陶芸教室の生徒さんに作り方を教えてもらい、用具もお借りしたのですが、
お家に持って帰るのを忘れていて、でも、今日、どうしても作りたい!
と、思い立って調べてみたら吸盤と洗濯ばさみでも代用できるということ
だったので、雨の降る今日はお家でのんびりしようと挑戦してみました。
新潟の阿賀野市にある「庵地焼」の窯元は、友人家族で営んでいます。
今も蹴ろくろで器を作り、土作りから全て手作業でしています。
陶芸の学校へ行って初めてしたことって、粘土を練ることでも、
ろくろを廻すことでもなく、「道具」を作ることでした。
まずは、桜の木をのこぎりで切って「こて」や「へら」を作るのですが、
それは水挽の時に必要な道具で、今回は「削り」に必要な道具のこと。
陶芸教室の道具も、定期的にメンテナンスしています。
万力でカンナを固定して、ヤスリで刃の目を立てていきます。
と、その前に学校ではこの硬っい鋼材を刃の形に切って、曲げて、
刃を作っていったのですが、泣きそうになるくらい硬くて手が痛くて
手の平に豆ができましたよ。